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いのちのきろく

2月5日 小さな命がお腹に宿っている事がわかりました。


3月2日 小さな命はその人生に終わりを告げてしまいました。

もっと早く病院へ行っていたら。
病院がしっかり対処してくれていたら。
ここが日本だったら。

考えても仕方がないさまざまな思いが溢れてきた数日でした。
事情を知っているのは数人。
お茶会や奥様会の度にリイチに風邪をひいてもらい、家に引きこもる日々。
夫と一緒だと外へ出られるけど、2人だと怖くて出れない、
誰かに会ったらどうしよう。
無理して笑ってしまう自分が嫌だ。
でも、いつまでも家にこもるわけにはいかない。
そんな自分はもっと嫌だ。
忘れられなくて苦しい。
ううん、もっと怖いのは忘れてしまう事。
今の悲しい気持ちも、この出来事も。
忘れてはいけないのに、忘れちゃう日が来るんじゃないか・・・

恐怖、孤独、葛藤、嫉妬、後悔が巡る中 私を支えてくれたのは事情を知ってる人々のあたたかさ、そしてリイチと夫のパワーでした。


たった1ヶ月だったけれど、間違いなく我が家にやってきた命。
その証をここに残します。

***ごめんなさい***
辛い過去を思い出してしまう方、ご気分を害してしまう方がいらっしゃるかもしれません。
どうかご了承下さい。

そしてお願いがあります。
このことは日本にいる双方の両親は知りません。
余計な心配はかけたくないという私達の考えでこのままにしておくつもりです。
勝手なお願いですが、皆様の胸にとどめていただければありがたいです。






そろそろ2人目をと思った矢先の妊娠でした。
今年予定してる旅行や、お客様などなどなんの支障もないタイミングに
夫の帰国を待って、さらに第一希望日の土曜日に誕生したリイチにつづき
我が家の子供達はなんていい子なのだろうと夫とベタ誉め。

とはいえ、たくさんの問題が待ち受けていました。
元々、なんの問題もなければ駐在先で出産する事を決めていた私達夫婦。
カナダでの出産は決定でしたが、こちらの医療事情は日本と違うことばかり。

私が住む州では2つの選択肢があります。
その①
4ヶ月まではファミリードクターが診察、5ヶ月からはファミリードクターに紹介された産婦人科医に診てもらう。

その②
初めから助産師(midwife)に診てもらう。
出産は病院か自宅を選択。
病院の場合も助産師がすべて取り仕切り、その地位は確立されている。


我が家はファミリードクターを持っていません。
以前もお話しましたが、人口増加と医者のアメリカ流出で慢性的なファミリードクター不足のこの地域。これは社会問題にもなっています。
リイチを妊娠、出産で助産師さんの存在がとても大きく、ありがたかったので私は助産師さんに診てもらう予定でした。

次に問題になったのが、言葉の壁。
ラッキーな事に昨年11月にこちらで出産をした日本人の方がいて、それも英語ペラペーラ!
その方にお願いをしてmidwifeに連絡をしてもらい、最初の診察日をとりつけてもらいました。

日本と違う医療事情はさらに。
こちらはよっぽどのことがない限り内診はしません。
自分で妊娠検査薬でチェックし、陽性と出たらそれが99%の確率で妊娠。
その後4ヶ月くらいになるとようやく血液検査、尿検査です。
それまでは何も。
私の初診日も3ヶ月後半の日でした。

また、リイチの時と比べると悪阻がほとんどなく、診察はない、つわりもないで妊娠を実感することなく2月も終わりを迎えようとしていた頃・・・

2月28日の夜から出血が始まりました。
運悪く夫が前日からアメリカへ出張。
その日お友達のお家で思う存分遊んだリイチは夕ご飯も食べず寝てしまったので、これ幸いに私も「とりあえず安静を」と一緒に休みました。

翌2月29日金曜日。
朝になっても出血は止まらず、驚くほど大量ではないけれど、確実にその量は増えていました。
午前中、上記のお友達(Kさん)に連絡してもつかまらず、午後からの予定をキャンセルして家で待機。
午後から電話してもお友達には繋がらず、気付けば3時半過ぎ。
午後から一緒にお買い物に行く予定で、全ての事情を知っているYさんが息子さんのお迎えに行って、学校で同じく娘さんをお迎えに行っていたKさんに会って私の話になり、急いで自宅に戻ってくれたKさんから連絡をもらいました。
その後、医療ホットラインに電話してくれて3者通話をし、(Kさん、ドクター、私)
ドクターは「4時間以内に病院へ行くべき」との診断。
リイチをYさんに預け、Kさんに連れられて救急外来(ER)へ向いました。

金曜日の帰宅ラッシュ時、しかも大雪。
この光景が今でも頭から離れません。

ERまで付き添ってくれたKさんですが、小学校1年生の女の子、3ヶ月になる男の子のママ。
おねえちゃんはバレエのレッスンへ行っていて時間になったら迎えに行かなければいけないのと、3ヶ月の赤ちゃんをいつまでもERの待合室で待たせておくわけにもいきません。
受付を済ませ、事情を話し、英語で症状を書いたメモを用意してくれました。
そして、彼女のご主人に連絡してくれて仕事が終わり次第、通訳として来てくれることに。

更なる不運が重なり、この日帰宅予定だった夫のフライトが大雪でキャンセル。
仕事仲間4人と車で8時間かけて戻るはずが、こちらも大雪の為途中で断念。
結局帰宅したのは翌日のお昼過ぎだったのです。

リイチを預かってくれてたYさんが、初対面のKさんのご主人が付き添うよりも知り合いの女性がいたほうがいいんじゃない?と提案してくれて、それまで事情を知らなかった方に依頼をしてくれました。
その方は同じ会社の駐在員の奥様で、英語も堪能。息子さんも一人で留守番してもいい年齢の為、時間制限がないからと。
呼ばれない待合室で待つこと1時間。
急いで駆けつけてくれたその方、Tさんの姿を見たときは涙が溢れてきました。

時間は既に7時近く。
お腹の痛みも出血も少し軽くなってきて、話し相手がいてくれることの心強さもあり気分も落ち着いてきましたが、ここから診察までなんと5時間近くの待ち時間だったのです。
待合室から診察室までが3時間。診察室に入ってからドクターが来るまでが4時間。
全て合せると7時間。
噂には聞いていました、ERの待ち時間。
でも大げさな噂だと思っていたら・・・・・

そして診断。
問診、血液検査、尿検査、触診、最後にエコーでしたが、
担当のドクターがエコーの使い方がイマイチよくわからないのと、膀胱が膨らんでいないから子宮内が見えないとの理由で結局何も分からず診察終了。
「明日、検査技師に診てもらう為にまた来て下さい。
 朝、予約時間の連絡を自宅にします。」とのこと。
時間は夜中1時30分。

ただ出血は完全に止まっていました。
最後まで付き添ってくれたTさんに送ってもらい、リイチを迎えに行き帰宅したのが2時。
私はいいですが、リイチを預かってくれていたYさんも、付き添ってくれたTさんも土曜日はお子さんの補修校があるため6時起きでお弁当作りが待っているのです。
本当に申し訳なく、そして感謝でいっぱいでした。

出血も止まり、少し安心していた土曜日の朝。
夫の帰りと病院からの電話を待つもどちらも一向にその気配なし。
しかもお昼近くになって再び出血。
1時頃ようやく夫が帰宅。
夫がmidwifeに電話をしてくれ、その指示は「今の状態では何も言えないから、やっぱり病院で診てもらって」
そして、病院へ電話。帰ってきた答えは
「本当は朝連絡しなくてはいけなかったけど忘れていたわ。
今日は検査技師が帰ってしまったから、また明日連絡します」

日本では信じられないでしょ?
でもこんなもん。。。

土曜日は夫にリイチを任せ、安静に。
そしてそのまま朝になったところで大量出血の気配がして1時間毎に目が覚め、
それと同時に今までで一番の腹痛が続く。
今思えば、これが最期の時だったのかもしれない。

朝、ようやく病院から連絡があり、11時半にエコーの予約。
膀胱を膨らませるために1リットル近くのお水を飲んでいかなければならないのもお国事情。
これも噂には聞いていたけど、辛い!
予約時間なんてあってないようなものだから、いつ終わるかわからない検査の為にどれだけトイレを我慢しなくてはいけないのか。
行けないとなると余計に行きたくなるのが人間の性なのか・・・
余談ですが、私は我慢できず寸前でトイレへ行き、またその場でペットボトル1本飲み干しました。
無事、エコー終了して、またいつ診てもらえるかわからないERへ。
この日も診察室で待つこと2時間近く。
3人とも爆睡。
ひと寝入りした後、夫がコーヒーを買いに行っていたほんの数分の間にドクターが来て私に言いました。

「I am sorry. I have a bad news. Your baby was died」

あぁ やっぱり・・・ 
信じたくないけど、やっぱり・・・というのが最初に浮かんだ感情。
その後、夫が戻ってきて事情を説明してくれました。
こんな散々な思いをした病院で唯一救われたのが、ドクターの「I'm sorry」という言葉。
このドクターが何かしてくれたとか、何もしてくれなかったとかではないけれど、その言葉に少し救われたのは事実です。

その日も次の日もたくさん泣きました。
何も考えられない時間が続きました。
リイチは何かを察してるのかたくさんのハグをくれました。
夫も誠心誠意支えてくれました。

3月2日 助産師さんの初診を3日後に控えた日の出来事でした。
この日の朝までねばってくれたのは、出張で帰れなかった夫を待ってのことだと信じてます。
やっぱり、うちの子供たちは親思い。
そう胸をはって言えます。

あれから2週間。
妊娠ホルモンの数値を調べるため血液検査をしています。
予定通り助産師さんのところへも行きました。
平日でしたが、夫が付き添ってくれました。
その日の内に事情を説明したら、「今後の心のケアのことも含めて予定通り来て」と言ってくれた助産師さん。
初めて会った私の担当になるはずだった助産師さんは若くて、きれいな人でした。
今後、もしカナダにいる間に妊娠したときの為にファミリードクターを持ったほうがいいかと尋ねたら
「その必要はないわ。妊娠がわかったらすぐにここに来ればいいから!」と力強くいってくれました。
mid wives centerも病院とは違い、住宅を改装した建物でとても気に入りました。
私の選択に間違いはなかったと思えた日でもありました。
そして、またここに来たいと強く願いました。


今は、今までと変わらない生活をしています。
時々、もしあんなことが起こらなかったら今は何週目で、秋には産まれて・・・と考え、どうしようもない気持ちにもなります。
でも、リイチと笑って、リイチの成長に驚いて、リイチを叱って、歌って、踊って、走って・・・
そんな普段と変わらない時間が心地よくもあるのです。

二度と経験したくない出来事だったけれど、命の儚さ、誕生の喜び、人々の本当のあたたかさ、家族の存在、たくさんのことを学ぶ事ができた出来事でした。

早朝出勤、深夜帰宅、休日出勤でまともに会話もできず、時間もそして多少なりとも心もすれ違っていた夫との関係。
2歳を目前にし口を開けば「いーやー!」のリイチ。

いつまでこんな日々が続くのか。妊娠、出産を乗り切れるのか。
夫が協力してくれるのか。
精神的に参っていた私。こんなんだったら妊娠なんてしなくてもいい!と思ってしまっていたのも事実です。
そんな私にきっと命に代えて教えてくれたんだろうな、私が見逃していた本当に大切な事。

midwifeのところへ行った日、久々に平日にお休みをした夫に頼んでドライブに連れていってもらいました。
行き先は5大湖の1つエリー湖。
着いたときはもう暗くなっていて、極寒で滞在時間は数分でしたが、その帰り道に見せて貰った満天の星空。
街灯もない道に車を停めて見上げた北米の冬の星空は寒さも忘れるほどの豪快な空でした。
3年前に2人で訪れたハワイ島のマウナケアを彷彿とさせる星の数。
「人は亡くなるとお星様になるんだよ」
よく耳にするこの言葉、あの星空を見て確信しました。

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           心のリハビリに連れていってもらった冬のナイアガラで
             端から端まで欠けることない虹に出会いました。


きっと、ずっと私達を見守ってくれるBABYに「ごめんね」と「ありがとう」の気持ちを忘れず持ち続けたいと思います。

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       外はまだまだ雪景色ですが、サマータイムも始まり、今週末はイースター


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                   確実に春の足音は近付いています。

by SHAKEHANDS_2006 | 2008-03-17 06:27 | life